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「みなそこで家を持っているから」
「一人でも帰ってくる可能性はないでしょうか」
「村の役場や農協に勤めている人は、こちらに親がいるし、田畑があるから可能性があります」
「みなさん歳をとっていきます。将来はどうなりますかね」
「どうなるかねー」
「戻って来る人がなければ村は滅びてしまいます」
「そういうことだねー」
「でも今、自力で家を建てている人がいますね。一軒増えますよ」

 

青鬼の人びとが記憶する古いものは、弘化4年の善光寺地震である。この地震にあって屋根を支えるサスが外れたと伝える家がある。つぎは幕末に行われた新田開発である。集落に続く東北の地に用水を引き石垣を築いて8町歩(8ヘクタール)の水田を造成した。つぎは明治40年7月23日の火災である。集落の中心部10数軒を焼いた。この火災は多くの人びとによって伝えられている。家中を使った蚕、農耕用の馬を飼っていたこと、学校まで1里の道を通ったことも多くの人たちが語った。
青鬼には昔は24軒があった。その後18軒に減った。村人の記憶のなかで3軒が減り現在は15軒の家がある、ただ、この内4軒は日常はここで生活していない。畑や田んぼの仕事がある家は夏のあいだは通ってくる。冬になると里にくだる家も多く、越冬する家は3軒ほどという。

 

むすび

青鬼の人びとは今、村並み保存を模索しだしたばかりである。村の人びとの団結が、この集落に新たな希望をもたらすであろう。そのことを期待したい。

 

 

 

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